夜ファミレスでお茶した某住宅メーカーの設計担当さんが、『何だか最近忙しい。でも天下りの偉い人の為に仕事が増えている気がして心地よくない』とぼやいていました。
絶対的な建築棟数は減っているのに、提出書類がやたら多くて大変だとの事。
詳しくはその業界にいないのでわかりませんが、とにかく契約一つするのに、極端な話、今何の契約をしようとしているのかくらいのレベルの話までしなければならないのはどうかと言っていました。
結局、色々な書類の提出機関が増えるという事は、それだけその先で決裁権を持つどこぞで働いていた偉い人も増える訳で、なるほど天下りという表現もわからなくはありません。
でも実際のところ、全ての中小の工務店まで含めてそんな大変な事をしているのでしょうか。
最近法律が変わっているとは言え、ほんの少し前に家を建てた私の経験から言わせると、そういう部分での大変さは地元工務店さんからは微塵も感じませんでした。
そもそも建てるという暗黙の了解の下、契約書は銀行に提出する為の形だけのものだった気がするし、保証書なるものは引き渡し時にも渡された記憶がありません。
手付金も中間金も最終金も結構いきなり要求されましたが、素直に払いました。
最近は出来上がる前から沢山の中間金を入れさせた挙句、計画的とも思われる突然の倒産劇に遭い、大問題になっている話を耳にしますが、そんな事も全然考えませんでした。
紆余曲折はありましたが、まあ、満足して住ませてもらっています。
とんでもない金額でリフォーム工事の契約をお年寄りにさせてしまったり、先にあげた建築業者の倒産の話など、建築にまつわるトラブルはあとがたちません。
だからこその法改正に伴う、様々な書類上の制約なのだとは思いますが、実際のところその業界に長くいて、自分のところだけはずっとしっかりやっているという認識の現場の人から言わせれば、ただ仕事が増えて面倒臭いという感覚なのでしょうか。
私のような田舎のお人よしはともかくとして、世の中の多くの顧客が契約行為そのものに大変シビアになっている傾向を感じます。
人間関係とか、つきあいとか、信頼とかそういう言葉は勿論今も生きていると思いますが、それだけでは割り切らない感覚。
仕事の業種を転換した経験で感じたのは、やはり私が所属していた環境が極端だった面もあるかもしれませんが、契約行為そのものに関しては、何かあったらお金を返せばいい、取り敢えずまず契約をしてもらってから、内容を詰めるという感覚がバブル期に栄華を味わった世代の上司から色濃く感じられました。
現に、契約客のトラブルに関しては意外にあまり怒られませんでした。
それよりも契約を取ってこなければ物凄く怒られる。
今の仕事は、契約金額そのものは桁が変わるほど小さくなりましたが、説明も添付書類も膨大に増えて、当初は相当面食らいました。
でもそれが普通なのです。
遅ればせながら、その普通が住宅建築の世界にも流れている中で当事者達は戸惑っているのでしょうか。
『あなたに任せるよ』という言葉は実は相当重い言葉でした。
今頃感じます。
お客様にとってはずっとそばにいて、何かあったら頼むよという事なのです。
それなのに安易に辞めてしまったり、そこから逃げてしまったり。
ありがたいことに、仕事が変わっても殆どのお客様が今も普通に声を掛けてくれます。
私に出来る事は大してありませんが、責任を持って今の仕事を通して出会った人と関わり続けなければならないと最近ようやく真面目に考えるようになりました。
そんな事を改めて思い起こさせてくれる、ある設計マンの愚痴でした。



