子沢山に学ぶ事

義妹が小学生の時に出場したバレーのライオンカップで貰った記念品のライオンの人形の頭を、昨日見事にストーブで焦がしてくれました。
企業モノの玩具には非常に価値があります。
又、一歩間違えれば火事にもなりかねない。
親がきちんと見ていないのが問題ですが、とは言え、毎日何かやらかすコイツには手を焼いています。
こんなのが4人もいたとしたら。
今から10年間の歳月でこんな派茶めちゃな経験をあと3回やらなければならないとしたら・・・・・。
今日久々に会った中高の同級生の女の子(と言ってももう33歳)がいます。
久々にあった彼女には昨年末生まれた4人目の女の子がいました。
上は小学校4年生。
そして下が0歳。
まさか学生時代、彼女が将来4人も子供を産むとは思わなかった。
たった一人であくせくしている自分達夫婦がショボク見えました。
ちょっとやそっと泣いたって動じないし。
おっぱいの時間だといえば、私の存在お構いなしに、目の前で平気でくれるし。
えーーーーっ!!
これが4人産んだ女の強さなのだろうか。
正直、産むのは全然平気だから、代理出産でも何でも出来るって言ってました。
うちの妻にこの話をしたら唖然としていました。
最初の子供の出産で苦戦した妻は、今2人目を作る事に不安を抱えています。
無理もないでしょう。
でも今日4人というツワモノに会って反省しました。
このご時世、みんなお金のことや、自分達の老後や、自分達夫婦の価値観だとか趣味だとか、ペットがだから流行ったり、様々な言い分で少子化の傾向にありますが、そもそも人がいなければ世の中始まらない。
きっとそのお宅は裕福で余裕があるだとか皆さん思うかもしれません。
でも、今日私が伺ったのは、子供の将来の為の保険の見直しです。
加入の仕方はともかく、きちんと先を見据え、子供の将来の為に、積立金をいかに捻出するか真剣に考える親の姿がそこにありました。
もう何年も車は乗り換えてないし、家族で旅行になど行こうものなら一大行事だし、家の改築もなかなか手をつけられないのだとか。
自分達は二の次で頑張る母親の姿がそこにありました。
冗談で、こんな事なら、旦那にソフトバンクか大和ハウスに勤めてもらっとけば良かったと言っていました。(この2社は何人も産むと出産祝い金がウン百万も出るのだ!)
どっかの知事も子供が笑える所にしたいとか何とか言っていたけど、机上の空論ではなく、謳い文句ではなく、本当にそうして欲しいと思う。
あんな田舎と言ったら失礼だけど、田舎だからこそ、かもしれないけど、子沢山で頑張る人は、キャリアウーマンでバリバリ働いている人ばっかり毎日見ている私にとって凄く新鮮であり、彼女達の間にけして差などないと思いました。
ずっと先の将来、果たしてどちらが幸せなんだろう。
働き続けて、沢山稼ぐ事で満たされるものと、沢山の子供と孫に囲まれる事で満たされる老後。
それぞれ価値観はあるけれど、私が見てきた身近な大人たちは、大抵沢山の兄弟で育ち、子供の頃は苦労したみたいだけど、今は集まると本当に楽しそうで仲がいい。
私には姉が1人いるだけだけど、たった1人でも頼りになるものであり、貴重な存在である。
お金もやっぱり大事だけど、人はもっと大事なもの。
同級生の背中が大きく見えた一日でした。
2008年02月29日 Posted by 裏建太郎 at 23:12 │Comments(0) │TrackBack(0) │社会問題
楽しい老後とは
日本で一番楽しそうな老後を迎えているのはこの男以外にいないのではないだろうか。
念願の郵政民営化実現。
独身で、責任あるポジションはもう卒業。
どこに行っても人気者でチヤホヤされる毎日。
大して中身もなさそうなのに、その発言、一挙手一投足が未だに注目される。
ある意味見習うべきです。
でも現実はどうでしょう。
同じ年代でも少し心配なお客さんがいます。
もう60を過ぎて老後の生活をエンジョイしていると言えば聞こえはいいんですが、どうもこう、客観的に見ていて楽しいのかな?
と、思えてしまうのです。
行く度に、物が増えている。
ちょっと異常なくらいの買い物依存症的な節があります。
しかも、購入が目的らしく、その後それを使っている様子が全くありません。
パソコンもコピー機もファックスも電動チェアーも、車も土地も何もかも・・・・。
挙げたらキリがありません。
これまで苦労して稼いだお金をどう使おうと自由です。
でももし、そんな風にお金を使うことでしか、楽しみのない老後を迎えているのだとしたら、凄く寂しい気がします。
確かに、一般的な老後の迎え方と言えば、それまで必死に働き詰めていた私の父親世代は、人間関係も会社の人間しかいなく、そしてそのわずかな人脈も会社を辞めればあっという間に消えてしまう。
では、家族かと言えば、子供や孫にべったりというのもそれはそれでどうかと思うし、そもそも欧米人と違って、歳をとってから今更夫婦仲良くなんて出来ないのがこれまでの日本人です。
まだその知り合いはマシかもしれません。
お金を使うことで紛らわすだけの余裕がある老後を迎えられているだけ。
でも今の30代や40代の人はそういう訳にはいきません。
そして私が30年後、果たして楽しい老後を迎えられているだろうか。
今一つ言える事は、ずっとサラリーマンでやっていたら、哀しい結末を迎えてたかもな・・・・という事です。
いや、哀しい結末という事にすら蓋をして、気付かずに慎ましやかに暮らす幸せだったと言う方が正解かもしれません。
あの頃は、働いた気がしているだけで、ただただ時間が遅くまで過ぎるだけで、友達も外には広がらず、趣味もなく、稼いでも権堂で若いのに変なお酒の飲み方をしてはお金が消え、後は車とスーツに見栄を張るくらい。
今、その頃の教訓は残っていても、なんら財産とも言うべき人脈も趣味も残っていません。
そこにいる時は気付かなかったけど、今こうして一匹狼みたいな仕事をしていると、困った時に本気で相談できるお客さんとか知り合いとか友達とかが驚くほど少なかったという事実にぶつかりまくっています。
でもそれはもういいのです。
気付いて良かったから、これから増やせばいいだけだから。
無理に趣味めいたものを作ったり、自分を偽って人の輪に入っていくようなのも長続きしませんが、身近な枠を超えて、知らない年代や、地元以外の人に会ったり、違う仕事をしている人の話を聞いてみるとか。
今の営業の仕事していたら何でも出来るのがとても幸せです。
だから、何の疑問もなく同じ人と毎日同じ会話をしているなあと思ったら危険信号だと思って、積極的にそこを捨てる勇気も必要だと思います。
少なくとも私は、買い物が趣味はいいとしても、買ったらそれをどうにか楽しむようなそんな無駄のないお金の使い方をしたいです。
でも出来れば、物にお金が消えるよりも、人に使う方が理想ではないだろうか?
それが楽しい老後を迎える事になるのではないだろうか?
きっと冒頭の画像の彼もそうなんだろうな・・・。
2008年02月28日 Posted by 裏建太郎 at 22:53 │Comments(2) │TrackBack(0) │日常の出来事
とんかつ健で蔵田アナに遭遇

本物はやはり奇麗でした。
昨夜、知人と近所のとんかつ健という定食屋で飲んだくれていましたら、テレビの取材に訪れていました。
隣のオヤジの集団にマイクとカメラを向けていましたが、飲んだオヤジはやっぱりタチが悪い。
蔵田アナを姉ちゃん呼ばわりするわ、テレビカメラで記念撮影しろだの、一杯飲めだ事の・・・。
ここは安いキャバクラじゃねえっつの!!
悪気はないんでしょうけど、どうしてこう、田舎に程よく生き延びるオヤジの酒の飲み方とはああなってしまうのでしょうか?
それでもさすがプロ。
うまくいなして爽やかに仕事を追え颯爽と帰っていきました。
大したもんです。
営業やっても間違いなく成功するでしょう。
昨日たまたま何かの雑誌で、東京キー局の社員と、地方局の社員の年代別の収入の一覧が出ていました。
あまりにもキー局の社員の年収が全ての年代にわたって高いというか、度を超えた高さでいくらだったかも覚えていませんが、殆ど地方の倍でした。
私と同年代で、1,500万円とか、それより上になると2,000万円近かったり。
地方局の700~800万円でも多い気がするけど、それにしてもいくら残業が多いとか何とかいったって、世間の常識では考えられません。
昨日も我々がのん気に飲んでいる時間も働いて、そして帰って、又打ち合わせでもするんでしょうか。
いやはや大変な仕事です。
でもそれが、長野県を飛び越えて、キー局へ行くだけで、年収にして倍の格差がつくほどの仕事の違いになるというのだろうか?
私には全くわかりませんし、それだけテレビがおもしろいのならそれでもいいのですが・・・。
どうなんだろう?
ちょっとやりすぎではないだろうか。
自分が最近テレビつけてるだけで、ろくに見ないからでしょうか。
でも、一般のサラリーマンからしたら、自分の2倍も3倍も貰っている人たちの作る番組に、我々と同じ目線の実感がこもっているとはとても思えません。
多分、昨日の蔵田アナの対応は、キー局で20代にして1,000万円貰っているようなどこぞの女子アナ達にはとても真似出来ないと思います。
まあ、長野朝日放送も沢山給料貰っているかもしれないし、一概には言えませんが、一般論としては、テレビ局ほど地方との格差のある世界はないようで・・・。
どうも長野の情報番組は、セットが安っぽくてダセーなあとかいつも思っていましたが、それもこれだけ格差つけられてれば仕方のない事なのですね。
長野県に生きる以上は、これからもどこかの放送局のニュース番組くらいは見る訳で、そういう意味では、これからも、うざいオヤジにからまれながらも、こんな長野県を見捨ててフリーになる事無く頑張って欲しいと思いました。
ちなみに今日も昼間同じ店で取材してたので、家族で行ったらちょっと撮られてしまったような・・・。
裏建太郎家のお宝画像は、3/11(火)、18:17~長野朝日放送abnステーション内の特集コーナーにてご覧頂けるかもしれません。(カットされてなければ・・・)
ちなみに全然、お店の味に触れてませんが、テレビ局来るくらいだから、何でもうまいっすよ!!
2008年02月27日 Posted by 裏建太郎 at 22:26 │Comments(2) │TrackBack(0) │エンターテイメント
錦織圭選手の活躍に子育てを考えさせられる
やってくれました。
私の崇拝する松岡修造氏もさぞかし喜んでいる事でしょう。
そうです。
錦織圭選手です。
最近少し後頭部の寒くなった少年隊のニッキの事ではありません。
ニシキオリと書いてニシコリ選手の事です。
変換しても出てきません。
ウィンドウズが新しくなる頃には、もっと有名になってニシコリで変換できる日も遠くはないでしょう。
今回の錦織選手を初め、ゴルフでは石川選手や、上田桃子選手、卓球の愛ちゃんや、最近ではスノボーでも若い選手が台頭してきました。
以前は若い選手が活躍できる種目と言えば、競技特性上、女子の水泳、体操など10代前半から中盤でピークを迎えられるものに限られていましたが、最近は、それとは別に、幼少期より徹底した英才教育の元、我々の知らないところから突如として、このようなスターが現れる事があります。
突如と言っても、殆どの人間がそう思っているだけで、その世界では相当有名だったはずですが。
今回の錦織選手も早くからその才能に目を付けられ、テニス協会会長の自費ファンドにより、1,000万円からの留学費用を賄われ、今日に至るまでになった好例です。
ここまでは極端な例かもしれませんが、スポーツにしろ、音楽にしろ、今世界で活躍する選手の多くが、3才~5才の幼児期より、それこそ本格的にその競技を選択しています。
そして、そこには当然親の影響がないはずがありません。
休日、その辺を見回しても、流行のダンスに親が熱くなっていたり、野球やサッカーなんかは、ものすごい親の取り巻きが、グランウンド所狭しと列を成し、一体どっちがメインなんだと、こんな長野の片田舎にいても思う今日この頃。
親のエゴなのか、本気なのか、流行なのか、ステイタスなのかよくわかりません。
例えば、親が甲子園を目指して行けなかったから、子供に熱心になるんだけど、親の心子知らずなんてのはよくある話。
無理矢理好きにさせようと仕向けても、大体素直な中学生くらいまでは親に服従かもしれないけど、高校くらいで脱線。
自分が学生の頃、私よりもずっとセンスがあって身体能力の高い友達の多くが、このような理由により、幽霊部員から帰宅部員に見事に変身してしまう過程を嫌というほど見てきました。
逆に、親にも教師にも縛られる事なく、自由と言えば自由な環境を選択して、陸上の日本選手権で優勝した知人がいます。
高校も私立じゃないし、大学も地方大学。
専門の指導者もいなくて、会社も一般社員扱い。
でも未だに彼の長野県記録は破られていません。
私自身も陸上競技の経験はたまたまで、本当は親父が柔道を教えていたからやらされそうになったけど、全然やる気なくて、どうしても走りたかったら、親も何にも言わなくて、中高と好き勝手に適当にやってたけど、それでもその選手が目指すところまでは、少なくともこの辺のレベルでいいのなら全国くらいまでは、個人競技に限ってはいけると思います。
団体競技は別です。
学校次第だったりすることは誰の目にも明らかでしょう。
やや話がそれましたが、要はその子次第だという事だと思います。
今回の錦織君も嫌ならわざわざ行かないでしょう、アメリカくんだりまで。
しかも修造の話ではかなり控えめな消極的な子だったらしい。
でも、彼の精神面でのセンスというか、上に行きたいというハートは親や指導者がどうこう言ってどうにかなるもんでもない。
今や控えめな彼は英語ペラペラで世界と渡り合っています。
もちろん生まれ育った環境や、彼を取り巻くバックアップ体制とか、様々な要因に恵まれて、彼の今日の活躍があるのは確かだと思います。
生まれながらにセンス抜群でもあったのでしょう。
それでもすごい!!
恐らく親は好きにさせたのではないか。
どこか早い段階で、親自身の指導や管理のレベルを超えていることに気付いて、テニスに集中できる環境を与える事に切り替えたのではないでしょうか。
凄く考えさせられました。
多分凡人の私の息子は、勉強もスポーツも程々でしょう。
過度に期待するのも気の毒です。
それでもやりたい事はやらせられる環境は作りたいと思います。
それには、ぶっちゃけ、イチローのお父さんが毎日バッティングセンターに行かせてやったように、ある程度の投資も覚悟しなければならないのでしょうか。
結局、親父は稼ぐしかないのですね。
そんな結論もどうかと思うけど、とことんやれる何かを見つけられるだけの環境だけは与えてあげられるように、私自身も感性を磨いて勉強をしたいと思いました。
2008年02月25日 Posted by 裏建太郎 at 23:09 │Comments(6) │TrackBack(0) │スポーツ
雪かきをしない男
大雪です!!
どこにもいけません!!
そして我が家は雪かきを持っていません!!
さすがに今日は朝から窓を覗くと少しブルーな気分になりました。
まだ息子はチビなので外で雪の中遊ぶわけにも行かず、かと言ってこういう時どこかに連れて行けるほど気の利いた街でもありません。
道も混むし面倒だ。
だからといって、静かにDVD見る時間も与えてくれません。
早く春が来ればいいのに。
外ではご近所の雪かきの音が・・・。
繰り返しますが、我が家に雪かきはないのです。
したくても出来ないのです。
雪国育ちの私が何故?
何年か前、年末年始にかけて大阪までK1ダイナマイトを見に行って帰ってきたところ、しばらく開けっ放しだった私のアパートの駐車スペースが、数年ぶりの大雪でかかれた雪の捨て場となっていました。
夜遅く帰ってきて、車も止められない。
固まった重い雪を、泣きながらかきました。
ご近所のお宅は奇麗に車を止めています。
恐らくその雪は全て私の駐車スペースに追いやられたのでしょう。
考えられません。
雪かきを知らない奴とはここまでバカなんだろか!!
いえ、雪かきを知っているとか知らないとか、そういう問題ではありません。
人として許せない。
だからと言ってもう1度その雪を戻しておくわけにも行かないし・・・。
私の実家では今夜は降りそうだなという時は、数時間おきに近所の誰彼となく外に出て雪をかく。
年寄りも多いから、みんなが使えるように奇麗に雪をかきます。
だから、大雪とか言ってもそんなに困った事はありません。
ずっとそれが普通だと思って生きてきました。
でもここでは常識が違うのです。
みんな自分のところしかやりません。
それは性格が悪いとかでもなく、他人のスペースまでやったら、それはそれで嫌味みたいな、性格悪い奴もいたりして、そんな余計な事を考えさせられてしまうような、そんな世知辛さがあるのです。
だから、これしきの雪で必死こいて雪かきなぞかきません。
どうせ溶けるんだし。
うちの実家に比べたら日中も気温上がるし、今はみんな四駆のいい車乗ってるわけだし、みんなで助け合うわけでもないんだし。
何年か前のトラウマがどうやら私の性格までをも悪くさせてしまったというのでしょうか。
今のアパートの住人の皆様はすごく協力して雪かきでも何でもやるけど、でも、でも私には道具がありません。
実家に帰るまでこのトラウマは消えそうにありません。
雪が降り積もる度に思い出す出来事です。
私は長野市にいる間は人の為に雪をかけないちっぽけな男です。
2008年02月24日 Posted by 裏建太郎 at 20:06 │Comments(4) │TrackBack(0) │日常の出来事
私の同い年のメンター
昨夜は長野市のいろは鮨に行って、その後3軒くらいハシゴして、お帰りは午前2時過ぎ。
さすがに更新出来ませんでした。
ところで、いろは鮨は寿司食い放題、ビール、焼酎飲み放題で4,200円。
私はお酒が飲めれば、そんなに食べられなくてもいいけど、とにかく食って飲みたい方にはお薦めです。
ところで、私には営業をする上で、貴重なメンターが3人くらいいます。
そのうちの1人に昨日久々に会ったので紹介します。
彼からはいつもパワーを貰います。
同い年ですが、これまでの同年齢の人間にはいなかったタイプです。
大体私くらいの年齢の人間と会って話す内容と言えば、子供がかわいいとか、仕事を辞めたいけどでも今更いいとこないとか、ワンボックスの車欲しいとか、昨日のお笑い番組がおもしろかったとか、まあ、そんな生産性のない話に尽きます。
勿論、世間話とはそういうもので、それはそれでいいと思います。
でも、その類の話をいくら続けても、私にとっては何も生み出されないというか、時が過ぎていくだけです。
だから、露骨に顔に出ているかどうかわかりませんが、あまり同じくらいの年齢の友達に近寄られないところがある私です。
最近こんな本読んで良かったから読んでみろと持ってきてくれるとか、全然仕事とも関係ない人助けの電話貰うとか、映画でも、お店でも、人物でも、または社会問題でも、自身の夢や仕事の将来についてなど、率直に目を見て語り、伝えてくれる人間というのは意外と少ないものです。
彼はそういう部分が全て詰まっています。
純粋に一緒にいると新しいことが聞けるのでおもしろいです。
勿論、サラリーマンではありませんが、ちゃんとそういう経験も経て今の彼のポジションに辿り着いていますから、これからやろうとしている事を聞いている時間は、何とも私にとってはゾクゾクする一時でもあります。
ついつい自分の仕事のルーティンでマンネリ化してしてしまいがちですが、そういう時は、迷惑にならない範囲内でいきなりお邪魔してしまいます。
でも快く受入れ、つい最近会ったばかりでも、また一つ二つ新しいネタが聞けます。
非常に勉強させられます。
私もそうでなければ、私と会うお客さんも面白くないんだろうなと思います。
ついつい、家庭やお金を言い訳にして、自分にはそんな余裕も時間もないからと新しいことに挑戦するのをためらいがちだという人は少なくないでしょう。
私もちょっと勝負せず無難にやっている感じがしてかなり反省しました。
付き合うなら、年上であったり、県外の人であったり、普通の仕事していない人であったり、それから普通に生きていたら一番嫌なんだけど、とっつきにくく、一般的には煙たがられているような変わり者のような人のところに飛び込まないと、感性も磨かれないし、自分自身がおもしろい奴にはなれません。
彼にとっては何も意識せず、普通に生きているだけなんだろうけど、私は色々な事を教わっています。
抽象的で私と彼にしかわからないような話だけど、具体的にどんな奴かここに書くと、彼のビジネスプランを漏らすことにもなりかねないので勘弁して下さい。
特別な事を無理にする必要もないし、無理矢理似合わない趣味を持つ事もないけど、とかく、自分は特別みたいな意識で、殻にこもり、発信しない変わり者は増えたかもしれないけど、やっぱり、自分の生き様は堂々とオープンにする気概が男にはなければダメだと思うのです。
愚痴を言う事なく、常にアンテナを張り、どんどん相手の懐に飛び込んでいく。
半人前手前の営業の私は、同い年のメンターから今日も色々な事を教わっています。
2008年02月23日 Posted by 裏建太郎 at 21:29 │Comments(0) │TrackBack(0) │営業論
私が売れない新人営業マンと会う訳

時間が空いた昼間は普段なかなか会えないお客さんと無理矢理会います。
今日会ったその人物とは、私より10歳も年下の若手営業マン。
この辺りでは優秀な高校を卒業して、それなりの大学を現役で卒業して、親の希望通り地元に戻り就職。
そして、現実という厳しさと戦っています。
もうすぐ二年目の彼ですが、営業の成果が未だに出ていません。
確かに年々厳しくなる世の中ではあります。
それでも同期は少しづつ結果が出ているらしく焦ってもいるようです。
毎日遅くまで、大よそ学生時代からは想像もつかない毎日。
何をやっても怒られる。
上司より先に帰ってはダメですか?
なんて、口が裂けても言えない素朴な疑問と戦う日常。
上司も先輩も同じ営業。
同じように数字に追われ余裕がないのは一緒だから、どこか殺伐としていて何も聞けない。
聞かなきゃ聞かないで又怒られる、その繰り返し。
彼の仕事内容も、職場環境も全然知りませんが、営業職を最初から経験していたという点では気持ちはいやと言うほどよくわかります。
心の奥底が垣間見えるようで、気の毒でもあり、応援したくもなり、でも彼くらいの年代で、あんまり余計なことを吹き込んで惑わしてもいけないし。
どうでもいいといえばいいんです。
所詮他人だし。
彼が全然売れなくたって、給料貰って、自宅に帰ればご飯もあるし、風呂も沸いてる。
恵まれてるじゃないの、だから勝手にがんばっておくれ。
前職では、部下も少しいましたが、正直そんな気持ちをどこかに隠しながら、指導するフリ、上司面していたと思います。
何故なら私もサラリーマン。
そうする事で更に私の上司へのアピールもあった筈です。
また、自分も苦労してようやく、それなりの年齢になれば、先輩面して、教えるふりして、ただただダメだししてストレス発散して、その狭い世界の中で偉そうな顔してたかもしれません。
いずれにしても、どっぷりとその世界だけに浸かっていると全く気付かないことですが、外に出てみて色々な人の意見を率直に聞いたりする中で、自身の器の小ささに気付かされました。
だからという訳でもありませんが、自分がサラリーマン生活の中で経験し会得したことは、特に苦労している若い営業マン限定で、洗いざらい何もかっこつける事無く、包み隠さず伝承していく事が、私に与えられた責務とさえ思い、今実証する毎日です。
彼らは驚くほどどうでもいい事を気にし、悩み、前に一歩踏み出せずにいます。
ジェネレーションギャップで片付ける周りの人間に問題が大ありの気がします。
どうにか、温度差のある先輩の中へも溶け込もうと努力し、もがいている奴も意外といるのです。
確かにとんでもないのもいます。
でもそういうのは何処に行ってもすぐに辞めるだろうから論外として、そういう一部の特殊な若者の存在が目立つからひとくくりにされてしまうけど、不器用なりに成果を出そうとしている若手もいるのです。
貪欲さ、積極性を彼らに求めるのは、育ってきた時代背景的に無理があります。
例えば、1件契約あげる為なら、寝る間も休みも惜しんで何が何でも普通やるだろ、と言ったって、彼らは口ポカーンなのです。
そこにイライラしてキレると、ますます彼らは貝になる。
楽天の野村監督は阪神監督時代、最後の最後まで今岡が心を開いてくれず手を焼いたそうですが、上司も自分のやり方がダメなら、一歩引いて、彼らの特性を引き出す努力をしているのでしょうか。
サラリーマンらしいサラリーマンをしていない私は、今、客観的に見てそういうところがすごくわかってきました。
どうしても経験が長くなると押し付けてしまって、若いのはどうせ何もわかってないからとシャットアウトしてしまう。
まるで、相撲をとったことのない人間に相撲界のことはわからないと、意固地になる相撲協会の年配親方連中のように。
まずゲームでも何でもマニュアルや攻略本があって、それを指示通りマスターすることで、こなしてきた彼らには、もしかしたら普通の営業モデルはもうこれからは追い求めてはいけないのかもしれません。
ここは長野県です。
本当に貪欲で、成果をあげるギラギラした奴なら、最初から地元に戻る選択肢はないでしょう。
夢を追っかけてるはずです。
でも私も含め多くの普通に育ってきた人間は、これから色々経験して、そして自分の生きる道を見つけるのです。
一つの会社の中に長くいて、上に立つと、数字や結果を求め、彼ら若手の目線など到底見えなくなるものです。
若いというだけで大いに可能性を秘めています。
きっかけ次第で大化けする可能性があるのに。
だから私はこれからもそのダイヤの原石の為に、時間の許す限り、話を聞いたり、外の世界に目を向けさせたり、息抜きさせたりしようと思います。
正直、私にとっても、自分を振り返り、恥ずかしくない30代の生き方を見せるという点でも、改めてやる気を起こさせる事でもあるし。
まあ、彼らにとってはウザイかも知れないけど。
でも、自分が同じ年齢の頃、もっと外の人から色々なことを聞いて置けばよかったと今でも思うので、偉そうだけど多くの売れない営業マンのメンターでありたいと思います。
まあ、その前に自分がそれなりの営業マンに早いとこならないと全く説得力ないんですけどね・・・
2008年02月21日 Posted by 裏建太郎 at 23:34 │Comments(2) │TrackBack(0) │営業論
安倍ちゃん善光寺に現る!

パソコンがウィルスにやられたみたいです。
機械に疎い私は昨日早速PCデポに持って行って見てもらいましたが、もはやかなりお金も手間もかけないと修復不能のようで、どうせ家建てて自分の小さなスペース作ったらそこにデスクトップ買って置く予定だったので、今回は使えないこともないし修理は断念しました。
という事で昨日は更新を1日サボってしまいましたが、今日の画像は安倍ちゃんです。
皆さんもう忘れていませんよね?
前の首相ですよ。
本日、妻が息子と善光寺で散歩中に遭遇して、勝手に撮ってきました。
本当はもっと近づいて息子を無理矢理抱っこさせようとしたらしいけど、ご覧の通り、おばちゃんパワーに押されて泣く泣く帰ってきたそうです。
笑顔は見せていますが、顔色はかなり悪かったそうです。
一刻の首相を務めるとなると、まともな人間には相当な負担がかかるのでしょう。
そういう意味では、何だかよくわからないけど、小泉元首相あたりはまともじゃないのかもしれません。
政治家とはそうでなければ生き残れないのでしょうか。
まあ、抱っこはされなくて良かったです。
退陣して未だに顔色悪い人に抱っこされても、運が向かなそうだから。。。
それにしても、今更彼は何しに善光寺くんだりまで来てたんだ?
田舎の観光地に来れば、それでもチヤホヤされるから?
いやいや、小泉さんじゃないんだから、そんな人気取りの為に、今更来ないでしょ。
という事は、真剣に善光寺さんに何かを祈りに来ていたのですね。
どうぞ、今年は少しは運が向くといいですね。
でも、どうして、辞めたときはあれだけ騒いだというのに、こうしてやってくれば、おばちゃんに見るように黒山の人だかりになるのでしょう。
あれだけ、自民党がどうだ、民主党がどうだと言っても、結局本物来たら、ただの見世物。
そんなレベルとは言わないけど、でもそういう人たちによって、彼らの得票も支えられている。
細かなデータは知りませんが、国政、県政等の選挙の投票率ってどんなもんなんでしょう。
場合によっては50%切ってたり。
若者に至っては、50%どころか殆ど行かないでしょ。
入れたい人いないからと言えばそれまでだけど、白票でも何でも、それが、当選票上回るほどあったら、それはそれで民意として意味あることのような気もするんだけど。
芸能人担いで、選挙戦展開して、政策動向の前にフィーリングで投票してしまう人が多いでしょう?
この画像見て改めてそんなもんなんだなと、強く思い知らされました。
だから、僕ら世代は足を運ばないんだよな。
政治の話もあんまりしたくないけど、どこかそういう話すると、宗教っぽい目で見られるというか、ある種、特殊な種類の人にくくられてしまうと言うか・・・。
色々問題の多い米国ですが、オバマとヒラリーの戦いなんか見てると、やっぱり凄いパワーを感じるのは私だけでしょうか。
何だかんだ言っても、あの国のああいうパワーには勝てないというか・・・。
あの安倍ちゃんに群がるセンス。
それなら、少し勉強してこの国の為に何か考えませんか?
2008年02月20日 Posted by 裏建太郎 at 22:32 │Comments(0) │TrackBack(0) │出会い
生保社員が一億詐欺

100万円の札束のメモ帳です。
これが本物として、こんな風に財布から出して毎日眺める事が出来たらどんなに幸せでしょう。
でも努力せずして、しかもこの100倍くらいの本物のお金を詐欺横領したという事件が、同じ業界内にて発覚するという衝撃の事実をたった今ネットを開いて知りました。
保険業界も、一連の不払い未払い問題を経て、CMも一部を除き、商品案内先行から、既契約者への配慮を重視した方向へ流れていた矢先の事実発覚は、結局形だけで、本質は何も変わっていないんだなというイメージを大いに世間に与えてしまう事になったと思います。
私もこの業界に身を置いてまだ短い期間ではありますが、以前の建築業界に比べて、お金を商品として直接預かるその特性上、コンプラがここまで厳しいのかというのが正直最初の印象でした。
何故なら、私の知っている過去のこの業界は、とにかく会社の空き時間によくわからない女性外交員がやってきては、よくわからないお土産攻勢と、初回保険料無料というあとで保険業法違反と知った素敵なサービスにより売るだけの、とてもお金を扱う他の金融機関とは比較にならない低レベルな世界でしかありませんでしたから・・・。
それが色々な問題を経て、マスコミも大スポンサーである保険業界に気を遣う姿勢から少し脱却して、一部新規契約に比重を置いた給与体制を見直す会社も出てきたりと、業界が動き出している最中の、このとんでもない低レベルな事件発覚。
まだ詳しくは判りませんが、既にこの女性社員は昨年懲戒解雇、被害者は会社と女性を訴えているそうで、会社も首切ればいいのかって話です。
一番悪いのは勿論この人だけど、そもそもそんな事を自由にさせられるだけの環境を与えてしまっていた会社はまず顧客に全額を弁済して、その上で慰謝料等を話し合いすぐに支払い、次に解雇された社員と会社との間での話し合いというのが筋ではないだろうか。
お得意の、事実関係の確認とやらに時間がかかっているとでも言うのだろうか。
勿論、実に幼稚な有り得ない架空の運用話だけに、騙される方も騙される方だという意見もあるかもしれない。
でも、お客さんにとったら本当にこの人を信用してしまったんだろう。
営業というのはそこまでの責任がある。
どんなに細かい話しても、完璧に理解した上で顧客は判断して購入しているかというと、私も含めて最後は目の前の担当者を信じるという事で背中を押しているのではないだろうか。
今回の事実はそれを全て踏みにじったとんでもない詐欺事件です。
これでやっぱり保険業界なんて、という風潮に戻るはずです。
そして、世間の皆様も更に自分の目の前の担当者の見極めが大事になるはずです。
まだ業界にどっぷり浸かっていない私の素朴な疑問です。
そもそも保険会社です。
保険を売るのです。
万が一に備えて、お客様それぞれの家族状況と照らし合わせて、不足を補うのです。
確かに、投資や株等、資産運用的な話には日本人はまだ疎く、これからは大事だと言われています。
餅は餅屋と言いますが、まず本質の話の前に、お金の増える増えないという話から入っていたのだとしたら、疑問が沸きます。
どんな話でその女性は騙したのかはわかりませんが、顔や雰囲気は想像つきます。
業界を変えて、真面目に少しづつ頑張ろうとしている人間には考えられません。
正直、同業者じゃないなこれは、とさえ思います。
でも世間の目はひとくくりです。
直接お金を取り扱うという仕事が裏目に出てしまったのか、もともとこの人がワルなのか。
とにかく、単なる多くの詐欺事件の一つで終わらせず、会社も早く被害者に対しての最低限の責任を全うして欲しいと思います。
私自身、これだけ腐った体質がまだ一部残る世界に何のご縁か身を置いてしまったという現実から逃げずに、目の前のお客さんに対してシンプルな言い方ですが、まず誠実にやるべき事をやり続けたいと思います。
2008年02月18日 Posted by 裏建太郎 at 23:04 │Comments(2) │TrackBack(0) │社会問題
自分で作り食べる生き方

実家に米を取りに行ってついでに貰ってきた長芋です。
もちろん自家製です。
1メートルはあるでしょうか。
そのままでも天麩羅でも私の好物には変わりません。
さて、冒頭で「米を取りに行って・・・」と何気なく書いてしまいましたが、冷静に考えるとどうなんだろうと最近よく思います。
私の実家では、米も野菜も沢山作っています。
別にそれで商売をしているわけでもないし、親だけでそんなに食べられるわけがないから、大学に出て、そのまま実家を離れ15年余り、何の疑問もなく貰っていました。
その間、学生時代の米不足の時は米だけ提供してよく友達と晩飯を食べたし、野菜が高いと言えばあげたし、松茸が取れたと聞けばお客さんに配りました。
大抵の方は喜んでくれ、羨ましがられます。
私にとってはお米があることも野菜があることも、幼い頃から親しんだごく普通の日常の延長のようなもので、その有難味を感じる事など一切と言っていいほどありませんでした。
子供の頃は田植えも稲刈りもよく手伝いました。
それで体も鍛えられ、農業も覚えたものです。
いつからか、高校に行って部活の練習や大会が重なるようになってから、又、若気の至りでもありませんが、周りにそんな事やってる奴も少なくて、気恥ずかしさもありいつの間にか、ガキの頃は当たり前だった農業の手伝いを全くしなくなりました。
それでも、黙って親父もお袋も今日までずっと米も野菜もいくらでもくれます。
家族だから当たり前の甘えと受け取ってしまっていいのでしょうか。
親父は今の私の年齢よりずっと前から、ほぼ自分で田んぼの事とかは爺さんから引き継いでやっていたそうです。
こっちはそんなつもりないんだけど、結婚前も異常に田舎で田んぼや畑があることを引け目に感じていたのか、奥さんには全くそんな事気にしなくていいからとしつこく言われました。
そして今でも手伝えとか一切言いません。
もう60も後半の年齢を迎えました。
いくら農業も機械化されたとは言え、年々しんどくなっているはずです。
いっその事、儲けてる訳でもなく、そんなに沢山自給自足する訳でもないのなら辞めてしまう選択もあるだろうにともずっと思っていました。
それよりも自分が仕事で稼いで食わせればいいんじゃないの?
その為には農業手伝ってなんかいないで仕事が優先でしょ、とずっと正直なところ思っていました。
でも現実にはその親が作ってくれた米や野菜をのん気に食って、松茸に至ってはお客様の営業活動とは言わないまでも、仕事に一役買わせてもらっている。
繰り返しますが、親はそんな中途半端な私に何も恩着せがましいこともいう事はありませんでした。
結婚、転職、子供の誕生という人生の転機ともいうべき経験をして、ようやく自分の周りの色々なことが見えてきた気がします。
どんなに格好つけて営業だとか何とか偉そうな事言ってたって、そもそも食ってく為に働いてて、その相対的な評価基準をお金というものだけに固執して考えすぎてしまっていたような気がします。
田舎者という劣等感だけだったけど、そもそもこんな貴重な財産に何故気付かなかったんだろうと。
両親に10数年の歳月を経て、無言で背中から教わった気がしています。
今、少し通勤は大変だけど、私が田舎に居を構える決断に至った理由は、自分が幼い頃体験した、自分の食べるものは自分で作る、親父はそれを黙ってこなし、会社へ営業先へ向かい稼いでくる、そんな日常の貴重な経験を自分の家族にも与え、そして何より自分自身が一番忘れてしまっているその感覚を思い起こす事こそが、自身の今の仕事にも物凄いプラスになるものと思ったからです。
ちょっと長かった私の遠回りな人生ですが、これから原点に戻り、今までよりずっと貴重な経験を多くのお客様にお届けできるものと思います。
今日も黙って米と長芋をくれた親から改めてそんな事を教えてもらいました。
2008年02月17日 Posted by 裏建太郎 at 22:43 │Comments(2) │TrackBack(0) │家族
命の大切さ

群馬県は太田市というところにお住まいのお客様が入院されたので、休みを利用して家族とお見舞いに行きました。
それにしても群馬は暑いくらい暖かかった。
長野を出るときは氷点下。
向こうに着いたらプラス8℃。
家族3人で汗をかきながらお客さんに会いに行きました。
入院と言っても、病気というより、おめでたに伴う入院。
でもあんまり細かい事は書けませんが、まだ初期段階で、赤ちゃんが着床するには非常に微妙な状況だそうで、とにかく安静にしていないといけないからひたすら病院のベッドでジッとしていなければいけないのだそうです。
行った先の産婦人科専門の医院はとても奇麗で広くて、まず私の住んでいる長野市では見たことがないくらい環境が完璧というくらい整ったところでした。
女性が何人かいる病室にはあまり長時間滞在できないので、1歳になる息子と、新生児室を覗いていました。
まだ生まれて1週間も経たない赤ちゃんが何とも言えない顔でスヤスヤ寝ています。
すっかりでかく、図々しくなってしまった我が息子の顔を見ても、こんな時代があったのかと今となっては思い出すことも出来ません。
こんなに小さくて、まだ顔色も赤黒くて、ずっと寝てるだけ。
枕元には生まれたときの体重と身長とお母さんの名前。
まだ名前も決まってないのでしょう。
ひたすらボーーーッと眺めていました。
今日伺ったお客様のお腹の中の小さな小さな命は、今必死に、何とか大きくなろうと戦っているのです。
早く安定期を迎えて、お母さんも普通の生活を送っても、お腹の赤ちゃんがすくすく大きくなってくれるくらいの時期になって欲しいものです。
うちの息子もデカかったので、なかなか出てこなくて大変でした。
生まれた後は、初めての子育てのわけのわからなさで、お腹にいる時や、生まれてくる時の妻や息子の大変さなんかもとっくに頭から吹っ飛んでいましたが、改めて生まれたばかりの赤ちゃんを目にし、そして必死に戦うお客さんを目にし、命が誕生する事がどれだけ大きく、そして重い事なのかという事が胸に締めつけられました。
とても在り来りな発言だという事を承知で言わせて貰うと、どうしてこれだけの幸せな子供の誕生という経験を皆平等に味わっているはずなのに、世の中ではその子供に手を掛けたり、またその親の苦労も知らずに様々な事件が日々起きるというのでしょう。
これは、ひとえにそのような経験を恥ずかしがらずに、臭い話だと思わずに、親が子供に伝えていないからなのではないでしょうか。
そして、言葉で伝えきれない部分は、今日私がお客様のお見舞いに行った様に、積極的に自分の子供をそういう場所へ連れて行くことも大切かもしれません。
まだ1歳の本人からしたらまるで理解できる事ではないだろうけど、でも不思議な事に、自然と自分より小さな赤ちゃんをジッと見つめ、そして時折微笑むのです。
愛情というのは親から子へいっぱい与えてやらなければいけないと思いました。
入院していたお客さんの6歳になる息子さんとロビーで男同士お話をしました。
ママがいなくて寂しいけど、パパとママが帰ってくるまで頑張ると言っていました。
少し甘えん坊の彼も、男らしく、弟か妹が生まれてくることを理解し、大人になろうとしているのが言葉の端々から伝わってきました。
こんな事を思う私も少し親父っぽくなってきたのでしょうか。
今更ながら少し、自分の親に感謝しないといけないのかなと思いました。
ずっと自分が父親になるまで感じなかった事だけど・・・。
2008年02月16日 Posted by 裏建太郎 at 23:18 │Comments(2) │TrackBack(0) │日常の出来事
絶対に売らないという強さ

今日の画像は鯛焼き。
私の好物ではありますが、まさか妻からのバレンタインがこれだとは思いませんでした。
子供の頃、ばあちゃんがストーブでちょっと焦がしてくれたのがたまらなく美味しかった。
もう妻は私にとっておばあちゃん化してしまっているのか・・・?
夢の欠片もありません。
さて、話はガラッと変わります。
転職後、1年半。
何か変えようと思って、朝早く起きて会社に行く事を始めて、今はもうすっかり慣れました。
そして、朝礼前の勉強会も習慣になりました。
出たい奴だけ出るスタイルなので、3、4人くらいしかいないけどそれでもマネージャーはやってくれるし、みんなの前では聞けない話も聞けるので、よほどもっともらしい研修なんかよりおもしろいし、身になります。
何でもいいんだけど、やっぱり朝早くから動くというのは非常に効率がいいと思います。
今私の中でやりたくて準備しているのは、朝からジョギングがてら新聞配達と一緒に民家に投込、その後ゆっくり新聞とネットチェックして、本読んで、ご飯しっかり食べて、うんこして(笑)、出社。
そして誰よりも早くアポ入れて動いて、誰よりも早く帰って子供と風呂に入る。
これをここ3年くらいの間に実現させたい営業スタイルと考えているのですが、現実には夜のアポに追われ、朝も6時半頃に起きるのが精一杯。
理想は善光寺の坊主並みかそれより早く起きて動き出したいんだけど。
でも口だけで言っていても仕方ないから、近いうちに必ず実現させます。
やっぱり人と差をつけるには、人の動かない時に動かねば!!
さて、勉強会の話に戻りますが、スゲー話を聞きました。
マネージャー(以下M)とは一般の会社で言うと一番偉い人。
社長みたいなモンで、ノルマも数字もありません。
でもこの業界はそれでも過去のお客様よりご相談を頂いてご契約頂けば相応のコミッションも発生します。
昨日もMはある社長から他社でご加入中の商品についてご相談があり、今すぐにでも契約してくれそうな空気が流れたそうです。
全て任されているMにとっては、彼の一言でどうにでもなると言えば語弊がありますが、今すぐご契約を頂こうと思えば、およそ我々にとっては年に1回あるかないかの大口契約も頂けます。
「こんな商品で、こういう状況の社長にこんな相談を貰ったらどうする?」
勉強会に出席していた数名の我々ペイペイは、まあ、あれこれ奇麗事は言って見たものの、結局最終的には提案してご契約を貰う方向で話をするとの答えでした。
Mは現在の自身の商品知識と経験の脳みそのまま、目の前にいる社長に完全になり変わったとして考えに考えて、今は敢えて提案は一切しない。
社長がいくら全て任せると言っても、そのお客さんにとって何が一番得かを最優先で考えて、その人になりきって、自分のスケベ根性なんか一切捨てて営業はしなかったそうです。
そこで一瞬でも売る姿勢を見せてしまった瞬間に、そのお客さんとの貴重な関係が全て崩れ去ってしまうとも言いました。
みんな同じような事は言います。
お客様にとって一番いい事をすると。
でも現実には様々な要因で矛盾を犯しています。
どんなに青臭いことを言っても、結局は売って来いという上に立つ人を沢山見てきました。
確かに、それでこの世の中は成り立っているのかもしれません。
でも現実にそういうギリギリの勝負というか、普通の人間なら売るだろという状況でも、200%相手の事だけ考えて平気な顔して僕らにそれを伝えてくれる営業の先輩を初めて見ました。
これは私のような仕事をしている人間だけに特別に感じるものなのかもしれませんが、鳥肌が立つような話でした。
私にとってはイチローが200本打つより凄いレベルの話に感じました。
判りにくくてすみません。
でも今日の話は自分にとって目の覚める勉強会でしたので、勝手に自分だけが盛り上がってしまったけどそれでいいのです。
どこまで相手の為に出来るだろう。
今はまだ現実の生活もあるし、基盤を作らなければいけないところもあるし、そのお客様がそんでない限りは、少しだけお願いしてしまう自分もいます。
でもその一方で、全然直接的な得にはならない事もその人の為に意識してやる事を習慣づけてもいます。
まだまだ始まったばかりの私にとっての本当の本物の営業になる為の先の長い道ではありますが、これからも早起きして頑張ります。
それにしても早起きは三文の徳とはよく言ったもんだ。
2008年02月15日 Posted by 裏建太郎 at 22:50 │Comments(2) │TrackBack(0) │営業論
救急車が通ります。
昔こんなの運転するのに憧れました。
信号無視して、さっそうと誰かを助けに街を走り抜ける・・・。
幼い頃、消防署の高いところに張ったロープをサーカス団のように渡り切る様を見ては、口を開けて見ていたと今も母に言われる。
そして、体力さえあればなれると思っていたのに、筆記があって、見事に落ちた大学4年のあの日。
ですから、今も憧れと尊敬に値する消防、救命士の皆様。
ついには、仲の良い長野市消防局のお客様に勧められ、昨年長野消防局認定の応急手当普及員なる認定も頂きました。
ただの応急手当をする人ではありませんよ。
心肺蘇生とか、AEDの使い方とかを教えて普及に努める人なんです。
でもまだ全然活かしてないけど・・・。
前置きが相変わらず長いです。
ずっと前から言いたい事がありました。
営業をして、毎日この狭い市内を走っていても何台かの消防車や救急車とすれ違います。
確か、免許を取る時の学科で習ったはずです。
あのピーポーが聞こえたらはじに寄せて、一時停止して譲るんじゃなかったっけ?
そりゃ確かにタクシー代わりにこの寒い季節は呼びつける年寄りも多いかもしれない。
でも、応急手当普及員の講習でも習ったけど、心肺停止状態になったらその一分一秒が大事なんです。
どんなに、救急隊員が頑張っても医療行為は出来ないんです。
まずは病院に連れて行かないといけないのです。
それなのになんなんだーーーーー!!!
どうして、サイレン鳴らした上、マイクで叫んでも止まらずにガンガン突っ込んでいく車が後を絶たないんだろう。
長野市だけですか?
いいえ、案の定、きょうどっかの県でも一般車両と救急車が事故ってましたよ。
それで一般人も巻き沿い食らってましたよ。
どっちが悪いか判らないけど、来たこと気付かないはずはないと思うけど。
そりゃ確かに救急車両だからって、我が物顔で赤信号突っ込んだらまずいけど、まさかそれはないでしょ。
私の見る限り、普通に走ってますよ。
でもついこの間なんか、救急車が4、5台は見送ってた。
明らかに止まれないこともない車の流れなのに、救急車が来ている事はわかっているはずなのに、でも一台が突っ込むと、次も又その次も・・・。
しかも、いかにもっていう若い奴の車だったり、ちょいと偉そうな車だったりかというと、これがごく普通のおばさんや、普通のサラリーマンや、中には社名の入ったトラックやサニーバンみたいなのがルール無視で突っ込む突っ込む。
社名の入った車なんか見ると、どんな奴雇ってるか知らないけど、そこの商品は2度と買わないぞとさえ思う。
いつからみんなそんな生き急ぐようになったんだろう。
そこで止まって譲ったところで何秒のロスだというんだろう。
周りが見えないのか、耳に入らないのか。
急いでいる意識はないけど、他人より自分なのか。
どうせ、譲ったところで、今時病院も救急車受け入れないんだから一緒だろとでも考えているんだろうか。
私も一昨年の年末にノロウィルスにかかって、夜中どうしようもなくて救急車デビューしましたが、具合悪い人間からしたら一秒でも早く病院の先生のところ連れてってくれ、というのが心情ではないでしょうか。
とにかく車のマナーが悪すぎる。
私は善光寺の近くに住んでいるので、県外車ともよくすれ違いますが、県外の人からしたらたまたまマナーの悪い車に出会ったというだけで、長野県をひとくくりにされて、悪い印象を持たれてしまうではありませんか。
この前なんか、パトカーもどきの青いNPOの車からタバコの灰とばして、だらんと手を出しながら走っている車見たけど、あれも印象悪かったな。
私はそんなに常識人でもないけど、せめて、何台に一台かは一刻を争うかもしれない人だって乗ってるかもしれないんだから、大抵はそんなに急ぐあんたなんかよりよほど差し迫ってるはずなんだから、ほんの数秒くらい我慢して譲れよ。
ああ、全然すっきりしない。
それくらい、ここ最近で非常識な運転者を沢山見ました。
救急車の運転手さんも、そろそろ声荒げてマイクで叫んでもいいんじゃないかな。
信州は真面目な人が多いと思っていたのに、最近少し残念に思うことが多い建太郎です。
これからも小さな努力ですが、このような事に触れる度に、ここで警告を鳴らし続けます。
2008年02月14日 Posted by 裏建太郎 at 23:26 │Comments(4) │TrackBack(0) │社会問題
パンツぱんくろうに学ぶ~肩の力を抜いて

今~日もあ~さから立派なウンチ~♪
出~たから1~日幸せよ~♪幸せよ~♪
いきなりお下劣でごめんなさい。
小さなお子様のいるかたならご存知かもしれません。
パンツぱんくろうの歌です。
先日、トイザラスで見つけました。
スイッチを押すとぱんくろうが歌い出します。
すると、子供はどんなに騒いでいても集中してくれるという優れものです。
この玩具とこのキャラを開発した方には感謝してもしきれません。
さて、そんな事が言いたい今日のブログではありません。
よく歌詞を聞いてみました。
実にいいではありませんか。
取り敢えず、朝から立派なウンチが出たら幸せになりませんか?
はっきり言って私は昔からこれと全く同じ感覚の幸せを持ち続けてそのまま大人になりました。
誰しも、そもそも幸せってそんな些細な、ある意味くだらない小さな事ではなかったはずではないでしょうか。
大人になる度に、勝手に自分が大人になったと思い込んで、大して大人でもないのに大人ぶって、形ばかりの幸せを追ってはいないでしょうか。
別に難しいことを言うつもりはありません。
私は人生をシンプルに単純に生きたいと思っています。
それは、ちょっと気を抜くとすぐに周りに流され、自分を見失い、いつの間にかつまらない何処にでもいる奴になってしまいそうな自分と隣り合わせだという事が、自分自身よくわかっているからです。
サラリーマンを捨てて、フルコミッションの世界に身を置いてそれがよくわかりました。
今、客観的にこれまでの人生で知り合った人間をはたから見ていると、実にこのぱんくろうの歌詞が身に詰まる思いでなりません。
もっと、肩の力を抜いて、もうちょっと自分や家族の幸せを第一に考えて、シンプルに自分の仕事や人生と向き合ってみたらどうなんだろうなって思います。
そうしたら、人によって顔色変える事もないし、ストレスどころか、仕事も楽しくて何時間でもやるべき事をやるんじゃないだろうか。
当たり前に電話もとるし、本も読むし、趣味も謳歌するし、上司だろうと誰だろうと必要な事ははっきりと伝えるんじゃないだろうか。
結局、お腹いっぱい食べて、楽しい酒飲んで、ぐっすり眠り、大切な家族や仲間と会話をし、時間を共有する、朝起きたらウンチしてすっきりする。
この繰り返しこそ、一番単純な幸せのはずなのに、何をみんな回り道して、つまづいた気になってたそがれてるんだろう。
そんな時間は無駄だからもう辞めよう。
今日も自分の会社の悪口ばっかり言っている奴に会った。
何回電話してもメールしてもつかまらない奴もいた。
奥さんの愚痴ばっかり言ってる奴もいた。
私の仕事のネガな部分ばっかり聞こうとする奴もいた。
私はかまわないけど、どれもこれも実にその人にとってもったいない時間のような気がしてならなかった。
今度そういう人には目の前でこのぱんくろうの玩具のスイッチを押して聞かせてやりたいと思う。
彼らだって立派なウンチ朝からしたら幸せだろうに。
違うのかな?
ごめんなさい。
私の感覚でものを言い過ぎました。
あまりうまく伝わらなかったと思います。
汚い単語を何度も出しましてお食事中の皆様には失礼しました。
でも今こそシンプルに。
無邪気にスイッチを押して喜ぶ息子に、何だかとても大切なことを教わった気がしました。
2008年02月13日 Posted by 裏建太郎 at 22:17 │Comments(8) │TrackBack(0) │営業論
裏建太郎日記を読む奇特な皆様へ
はっきり言って、読んでくれる人の事は全く考えずに、日々ブログを書く私。
書く事も読む事も個人的には好きですが、どうも本来の楽しいブログとはかけ離れている感もあります。
でもそれもよし、というのがブログの良さ。
だから、あまり気にせずマイナー街道突っ走っています。
たまに、コメントを頂いたり、直接記事についてメール貰ったりすると嬉しいものです。
そして、何よりハッとさせられるのは直接感想を言ってもらえる時です。
今日も久々に、かなり久々に会った知人に、おもしろいから全部過去のコメントまで読んだ、と言われて、うまく表現出来ませんが、非常にありがたいというか、嬉しいというか、変な気分になりました。
ここでは、一切格好つけずに、ありのままを、それこそ、直接誰かに伝え難い事まで全てぶちまけていますが、それを感じてくれる感性を持った人が意外なところにいた感じがして、本人の前ではうまく言えなかったけど、純粋に嬉しいと思いました。
そして、感じた事を、相手に対して、ストレートに表現できる奴にも久しぶりに会った気がします。
物事をまず否定的に批評してみたり、相手の顔色や腹の中を探って、当たり障りのない事しか言わない人が多くなってきた気がします。
でもどんなに繕ってみても、そういう人物とは血の通った付き合いが出来ません。
言葉に魂のこもっていない奴と接する時間というのはいたたまれません。
だから、久々にいい時間が過ごせた気がします。
そもそも、毎日会えないお客様に少しでも自分の考えや近況報告をするつもりでスタートしたブログです。
でも見てくれているのは、意外な人も多く、またこのブログ上での知り合いもいます。
暑苦しく、理屈っぽく、長い、私の独断と偏見に満ちた日記でもない演説によくぞ目を通される方がいるものです。
でも私の中では、自分の日記がまず最初であり、誰よりも裏建太郎のファンであります。
この時間が、一日を振り返り、そして営業としての一日のリセットでもあり、また、その日の反省を通して更なる成長への足掛かりとしている、そんな願ってもない素晴らしい環境を与えてくれているのです。
これからも、読む人の顔を思い浮かべることもなく、ただただ自分の思うがままに書き連ねるかと思いますが、少しづつ成長の足跡が残せたらいいなあと思います。
書く事も読む事も個人的には好きですが、どうも本来の楽しいブログとはかけ離れている感もあります。
でもそれもよし、というのがブログの良さ。
だから、あまり気にせずマイナー街道突っ走っています。
たまに、コメントを頂いたり、直接記事についてメール貰ったりすると嬉しいものです。
そして、何よりハッとさせられるのは直接感想を言ってもらえる時です。
今日も久々に、かなり久々に会った知人に、おもしろいから全部過去のコメントまで読んだ、と言われて、うまく表現出来ませんが、非常にありがたいというか、嬉しいというか、変な気分になりました。
ここでは、一切格好つけずに、ありのままを、それこそ、直接誰かに伝え難い事まで全てぶちまけていますが、それを感じてくれる感性を持った人が意外なところにいた感じがして、本人の前ではうまく言えなかったけど、純粋に嬉しいと思いました。
そして、感じた事を、相手に対して、ストレートに表現できる奴にも久しぶりに会った気がします。
物事をまず否定的に批評してみたり、相手の顔色や腹の中を探って、当たり障りのない事しか言わない人が多くなってきた気がします。
でもどんなに繕ってみても、そういう人物とは血の通った付き合いが出来ません。
言葉に魂のこもっていない奴と接する時間というのはいたたまれません。
だから、久々にいい時間が過ごせた気がします。
そもそも、毎日会えないお客様に少しでも自分の考えや近況報告をするつもりでスタートしたブログです。
でも見てくれているのは、意外な人も多く、またこのブログ上での知り合いもいます。
暑苦しく、理屈っぽく、長い、私の独断と偏見に満ちた日記でもない演説によくぞ目を通される方がいるものです。
でも私の中では、自分の日記がまず最初であり、誰よりも裏建太郎のファンであります。
この時間が、一日を振り返り、そして営業としての一日のリセットでもあり、また、その日の反省を通して更なる成長への足掛かりとしている、そんな願ってもない素晴らしい環境を与えてくれているのです。
これからも、読む人の顔を思い浮かべることもなく、ただただ自分の思うがままに書き連ねるかと思いますが、少しづつ成長の足跡が残せたらいいなあと思います。
2008年02月12日 Posted by 裏建太郎 at 22:50 │Comments(0) │TrackBack(0) │日常の出来事
薪ストーブを見に行く
田舎移住計画の下準備として、薪ストーブ他を色々見に行ってみた。
長野市の黒い建物が何件か並んでる展示場。
所謂、ログハウスというやつですね。
感想としては、非常にシンプルですけど、良かったですよ。
え、何がって?
ん~。
社員さんの緩~い感じの接客が・・・。
そう、建物は大体想像付くんですね。
それより大事なのはやっぱりそこで働いている人の感じ。
自分が昔展示場とか色々なところで、それこそ何百人と案内してきたから思うのですが、もう客が来たからビタッと付いてまわるのは古いかも。
お客になってよくわかった。
最初はやっぱ構造とか資金とか色々言われてもよくわかんないから。
入ってくる時のお客さんの年代、車、服装、大体その辺で、これはフィーリングで決めちゃう感じだなと悟ったら、マニュアル通りの接客はもういいですね。
でも、それだけだとやっぱり緩すぎます。
だってもう誰も覚えてないもん。
放っておくのと、売り込むのと、タイミングがあって、どっちかに偏りすぎてもダメだな。
きっとこの会社は儲かっているか、営業は固定給なのか、客層がそもそもそれを求めてないのか。
おっと、結局なんにも見て来なかった。
薪ストーブ見に行ったんだっけ。
暖かいけど、ありゃ危ないわ、子供ガンガン近づいていくから。
結局あれは、田舎に暮らすステイタスみたいなやつですね。
飾りに置いておく事にしますよ、私は。
やっぱ理屈抜きでいいな。
燃料のりんごの枝とか手に入りそうだし、田舎だから。
でも年に何回つけるだろう。
その時は四六時中子供をマークだ。
そう言えば、昔、セントラルヒーティングよく売ったっけ。
恨んでるだろうな。
だって、当時の倍だもん、灯油代が。
でも、高気密住宅には暖かくていいんですよ。
私の実家は一日中氷点下だったり、信毎の昨日の気温とか見るとロシアよりも寒かったり。
だから暖房は万全にしたいかというと、これがあんまりそういう意識ない。
こんな事言ったら話終わっちゃうけど、そもそも冬は大体寒いでしょ。
全室暖かいとか、赤ん坊はともかく、本来風の子元気な子であるはずの子供の為に完璧に暖房施すのもどうかなあ。
うちの実家なんかいつ行っても居間のコタツとストーブちょっとだけ。
廊下は外みたい。
でも厚着してりゃ平気だとか言って、親は普通に暮らしている。
近所も軒並みそんな感じだけど、みんな迷惑なほど長生きしてますよ。
子供の頃の自分もそうだったはずなのに、すっかりひ弱になっちまったもんだ。
どうやら家の性能何某と健康は関係性がないのかもしれません。
だから私は過剰性能は求めません。
キリがないから。
古くなったら治せばいい。
不便なら知恵を絞ればいい。
汚れるの嫌なら大事に使えばいい。
これが私が高性能と言われる住宅メーカーで10年余り営業を経験しての結論です。
まあ、金銭的な問題でそう言い聞かせているところもないと言えば嘘になるけど。
以前、トップセールスの先輩が言っていた。
「うちの会社の家は売って儲ける為の家であって、自分が建てて住む家じゃないよ。」
性能云々のことを言っているのではない事は察しました。
要は、金額、どれだけお金がのっているかみたいな話です。
あれば(お金が)建ててもいいけど、逆にそこまで出すなら、家の事に携わって、色々知っている以上、もっと別の方法で建てるとでもいうのでしょうか。
色々な見方がありますから深くは触れませんが、とにかくちょっと話が飛躍したけど、どうせなら在り来りじゃなくて、うまく言えないけど、なんかいい雰囲気の暮らしがしたい私にとっては、やっぱり今日行ったところもそうだけどお決まりの家は建てることにはならなそうです。
それにしても信州ってこんなにいいところなのに、意外とオーソドックスな冒険しない家が多いものだ。
だからプレハブが儲かっちゃうのかな。
車で走っていても、あの家いいなってのにめったにお目にかからない。
地域性もあるんでしょうか。
北信は特に保守的で堅実思考かもしれない。
そりゃそうだ、長く住む事考えたら、普通に家の事なんか考えずに生きてきた人にとっては、大手か近所の知り合いが一番無難だもんな。
私みたいな変わった者が損をする。
変わったところに建てる選択をしたのだからそれもいいでしょう。
まだまだ考える事は多そうです。
おもしろい家とか庭とか、インテリアとか、設備とか、そこに暮らす人の情報ありましたら何でも受け付けますので、一つ宜しくお願いしま~~す!!
本日のダメだし
灯明祭りの財源ってガソリン税かららしいけど・・・。
2008年02月11日 Posted by 裏建太郎 at 22:28 │Comments(4) │TrackBack(0) │田舎移住計画
さよなら大相撲
やっと逮捕されました。
兄弟子3人は概ね容疑を認め反省も見せているようです。
でもこの人は否認らしいです。
K理事長は辞めそうにありません。
協会も気持ちが伝わってきません。
まるでお役人のようです。
もうどうでしょうか、国技だとか言って取り上げるのは辞めませんか。
人一人亡くなっているのです。
しかもそれは、事故でも自殺でもなく殺されたに等しいのです。
確か物心ついた時には既にそういう事は理屈抜きであってはならない事と自然と教わっていたと記憶しています。
でもそれが、日本中の誰もが知るエンターテインメント、国技らしい大相撲の世界で起こったのです。
それでも部屋も解散もせず、関わった力士もクビにならず、幹部も辞めず、普通に金とってお客を呼んで、税金払わず高給獲ってる協会って一体何なんだ。
17年前に死んだ相撲命のうちのじいちゃんが生きていたらなんて言っているだろう。
私も体育会系出身者としては、言われなき体罰、イジメ、しごき的な事も先輩、先生から受けた事もあるし、社会人になってもパワハラは散々経験しました。
私くらいの年代までは、どうにかそれも、「ナニクソ、絶対見返してやる」という反逆精神で自分を支え、持ち応え、プラスに変える事も出来ました。
でも、それ以降の世代には、これまでの私の経験上、よほどその人物が幼少期に特殊な経験をしていない限り、絶える事は出来ない確率が非常に高いと思います。
相撲の世界という閉ざされた環境にしか身を置いた事しかない彼らにはその空気が全く読めなかったのでしょう。
だから、いくら叩いても無理です。
相撲の世界では・・・という一言で片付けられて終わりです。
そりゃそういう一面はあるでしょうけど、それはどっか別のところで議論して下さい。
人が死んでいる事実はそれとは全く別モンです。
今回の一件で、やはり一つの事、世界に偏りすぎて生きるという事は、人間の人格形成上、紙一重だなと改めて思い知らされました。
素晴らしい世界で活躍している人間の1人という事実と隣りあわせで、こういう事が起きてしまう。
どうしてみんなワイドショー的には騒ぐのにただそれだけなんだろう。
さよなら大相撲。
私には何も行動は起こせないから、せめて自分の中での国技大相撲は終わらせようと思います。
もしもこのまま何も変わらないのなら。
でも変わらないというか変えられないんだろうな。
本日のダメだし
昨日見た伊藤みどりの顔が明らかに前と違うけど、今更どうなんだ!!
2008年02月10日 Posted by 裏建太郎 at 20:18 │Comments(0) │TrackBack(0) │スポーツ
そう言えば長野五輪から10年
あの頃の私は社会人1年目が終わろうとしていた、まだ世の中を舐めきった若造でしかなかった。
1998年冬。
確かに直ぐ近くでオリンピックとやらはやっていた記憶がある。
清水選手の金メダルも、ジャンプ団体の金メダルも、その後調子に乗りすぎて脱線した里谷選手のモーグルも、こんなに近くでやっているのに全部テレビの世界の出来事だった。
地元のボランティアの方とか、一生懸命貴重な地元開催の五輪を盛り上げていたのは頭が下がる。
でも当時23歳の若造にとっては、道は混むし、店も混むし、おまけに土日休みじゃないから世間からは置いていかれてるし、迷惑というか盛り上がりもクソもなかった。
高校時代の無二の親友がボブスレーでこのオリンピックを目指していました。
でもあと少しで出られなかった。
前走というデモンストレーションはやったけど、彼が本番を滑ってくれていたらこのオリンピックに対する私のモチベーションも少しは違っていたかもしれない。
でもとにかくあれからもう10年も経ったんだ。
何か知らないけど、長野市では記念イベントとやらをやっているらしいけど、どれだけの人が盛り上がっているのか知らない。
やっぱり僕ら世代が盛り上がっているというよりは、年寄りが過去に浸っている感があったり、テレビ局が無理矢理思い出させている感があったりで、ちょっと冷めて見ている私です。
だって、確かに清水選手にも原田選手にも感動はしたけど、もういいだろ、いつまでもそれは。
大体、あれからどれだけの人間が清水選手や原田選手の動向を追っていたというんだ。
清水選手の世界記録はウォザースプーンに次元の違うところまで突き放されて破られたのよ。
ウォザースプーンは勿論長野五輪の時代からいる訳で。
でも清水選手も紆余曲折あっても今も尚現役で頑張っている。
並の選手なら、あの時お母さんにメダルをかけて、日本中の美味しいところを持っていった時点で、コメンテーターか政治家にでもなって引退してたって、よっぽど今稼いでいるはずだ。
でも私よりまだ年上の彼は今も頑張っている。
原田元選手も、あの色々あった雪印を捨てずに、指導者として頑張っている。
どちらの競技も10年前とは比べ物にならないほど世界とは差がついてしまっているのに。
10周年のイベントもいいけど、このマイナー冬季スポーツにもっとスポットを当てたらどうだろうか。
信州にいるのに、今やスケートもスキーも学生は競技スポーツとして殆どやらないし、オリンピックのジャンプ台もスパイラルもどれだけ有効に使われているというんだ。
普段何も報道せずに、盛り上げもせずに、こういう時には行事らしく一瞬だけ乗っかる日本人。
とか何とか言いながら私も寒くなけりゃ何かやってるのかと出かけてしまいそうだけど。
せっかく貴重なオリンピックの開催地なのだから、それが根付いて冬季スポーツに力入れるとか、もっと毎年定期的なイベントを継続させるとか、結局行政もそこまでの予算も頭も回らないんだろうか。
いや、口だけ言っている私みたいな暇人こそ腰上げて何かすべきだろう。
でもそもそもこの長野県にオリンピックが10年前にきたという実感がもうないから無理か。
記念すべき表彰会場が今や権堂の駐車場と化しているくらいだから。
やっぱりバブルの頃に開催地を決めたという時点でその辺から少し温度差が出来ていたというか。
東京都はそれでもオリンピック呼ぼうと本気で考えているんだろうか。
北京五輪も色々ボロ出てるけど、そろそろオリンピックで景気復興させるみたいなそういうモデル自体が転換期に来ているんではないでしょうか。
やや話が脱線して来ました。
こういう話になりだすとかなり長くなるのでこの辺にしておきます。
否定している訳でも何でもないですよ。
ただ、私くらいの年代の一般人の本音を代弁してみただけですから。
本日のダメだし
都民よ、数センチの積雪で傘差して騒ぐ事なかれ
2008年02月09日 Posted by 裏建太郎 at 22:45 │Comments(4) │TrackBack(0) │地域情報
ガソリンか高速道路か
どこのどなたか存じませんが、勝手にネットから画像を拝借しました。
本日はガソリンと高速道路を考えてみました。
自分で経費を捻出する必要のないサラリーマン時代は、全く考えた事もありませんでした。
どちらも仕事と言えばタダだから、ちょっと前まではガソリンの単価なんか知りませんでした。
学生時代の記憶で止まっています。
当時私の住んでいた甲府は、全国的にもすごくガソリンが安くて、80円台/㍑だったと記憶しています。
単車なら20/㍑は走るので、満タンで1,000円も入れれば、実家まで下道で余裕で帰れました。
それが今や倍近い。
世の流れは、ガソリン税の撤廃です。
しかし、宮崎県の東国原知事あたりの発言で初めて知りましたが、道路財源なるものがあり、特に地方の高速の行き届いていないところでは、この税金を撤廃されると困るらしい。
ごもっともな事です。
南北に長い信州も今やすっかり、高速が整備されて、大体何処に行くにも昔のようには苦労しなくなりました。
でも全国にはそうでもない所も多く、かと思えば、全然車の走っていない無駄な道路も数多い。
この矛盾は一生埋まらないんじゃないかとさえ思います。
個人的には、ガソリンは今の半分くらいの単価になれば、もっと活動量を増やせるし、高速道路の料金もETCの時間帯割引とかセコイ事言ってないで、欧米並みにタダにしてもらって自由に動きたいもんです。
しかしながら、全国的にはそうも言ってられないそれぞれの地方自治体の事情というものがある。
だったら、みんながみんな、電車があって何でも揃った利便のいい都市部に移住すればいいのでしょうか。
この国の借金からしたら、これ以上お金を使わずに現状の生活の中でうまく切り盛りしていかなければいけないのとも思います。
結局、地方にしわ寄せが来てしまう世の中になったと片付ければよいのでしょうか。
あまりネガティブに考えたくはないけれど、自分だけの事を考えていれば、自分さえどうにか稼ぐしかないのかと割り切る事も出来ますが、年金暮らしの我々親世代はどうなるのでしょうか。
年金いっぱい貰って勝ち逃げ世代だから我慢しろって事なのでしょうか。
考えば考えるほど答えが意外と難しい。
ちょっと飛躍してしまうけど、結局、資源のない島国に生まれた以上は、こういう世の中にこれから少しづつなっていく時代だからこそ、より個々人の助け合い、繋がりみたいなものが大切になっていくような気がします。
難しい事は決められないのが現実だし、そのルールの中でやっていかなければいけない訳だけど、まだいくらでも修正が効くと思うので、わがまま言わずに最善を尽くすしかないのですね。
ああ、こうやって流れに身を任せるしかないのか。
答えが見つからず歯痒い今日この頃。
いっその事、理想の生き場所をもとめて、もう少しグローバルに物事を考えてみるとしますか。
本日のダメだし
年寄りよ、年金も預金もためらわず、大いに使っておくれ。
では、寝る事とします。
2008年02月08日 Posted by 裏建太郎 at 22:16 │Comments(0) │TrackBack(0) │社会問題
隣のオバちゃんがお客様になる日

冒頭の画像と今日の話の内容は全く関係ありません。
画像のネタがない時に隙間を埋めてくれそうな、あまりにもブサイクな寝顔を見せてくれたので載せました。
さて、今日のアポ先は実家の隣です。
母親から呼び出されて、隣の(私の実家では隣組)オバちゃんとオジさんのご相談に行って参りました。
私の生まれ故郷は、所謂田舎です。
近所が助け合い、高齢化した住民達が何かと集まって何かしら会合を開いたり、どっかに出かけたり。
色々な見方はあるかと思いますが、とてもよい所だなとこの歳になって思います。
でも、私の両親を初め、このオバちゃんたちもずっとそこにいる訳ではありません。
あと20年もしたらどれだけ寂しい隣組になっている事でしょうか。
以前の仕事も今の仕事も、営業職であり、どちらかと言えば薦めると敬遠されがちなものを扱っているだけに近所や身内、同級生には極力仕事の話は自分の中でタブーとしていた感があります。
その商品がいいものなら、積極的にまず自分の大事な人から売って来る、というのはその通りだと思います。
でも、近いだけにそれで微妙な関係になるのも嫌だったり、困っているのを悟られたくなかったり。
とにかく、妙なプライドが先行して、常に新規客ばかりを追いかける自分がいました。
そこに頼ってしまっては負けじゃないか、みたいな変な意地というんでしょうか。
でも考えを改めました。
売りっぱなしの商品は扱いません。
今も毎月おはがきを出します。
正直、そのお客様にとって、もっとよい情報があれば、自分の損も承知の上で積極的にお伝えする事にしています。
そして、こちらが防御を張りすぎる前に、もっと情報を欲しがっている身近な人は結構多いという事です。
母親とオバちゃんとの何気ない会話の中で、そんな事ならぜひ教えて欲しいという事から始まった話です。
何事か起こる前に出会えて話が出来てよかったと思います。
今日も本題というより、別のお話ばかりでした。
母親の作ったおやきを手土産に、ケーキを貰って帰ってきました。
これからもずーーっと相談窓口になれる事を嬉しく、誇りに思えました。
こちらから閉ざす前に、積極的に、より近い方にも自分を商品として認識してもらうべきだと思いました。
高齢化社会の進む中、もしかしたらこれは21世紀の新しい営業モデルかもしれません。
隣組の息子からものを買う老後。
私からの新提案です。
ネットも通販もいいけど、絶対に逃げられない関係の人間に全て任せる。
いつも今更ながらという事に気付くのが遅すぎる私です。
優秀な方にとっては何でもない話のはずです。
ゆっくりとではありますが、歩を進める建太郎です。
さて、いつも言いたい事を書ききれない私からの新コーナーを勝手に作ります。
本日のダメだし。
相撲協会よ、逮捕者が出ても尚、税金を払わぬ団体のまま胡坐をかかないでおくれ・・・
以上、本日の裏建太郎日記終わり。


